ギターの上手さの定義は難しい
ギタリストをやっていると必ず話題に上がる
速弾き不要論
上手さの定義
もう少し突っ込んだことを言うと
「テクニック重視の技巧か」
「一音に魂を込める技術か」
ギタリストによってプレイスタイルが違うので
どちらかに偏りがち
最近ではどちらも網羅しているギタリストも多いですけどね!
テクニック重視の人からすれば
速弾き不要論は速弾きが出来ない人の負け惜しみ
一音に魂を込めるタイプの人からすれば
速弾きは魂を込める技術がない誤魔化し
みたいな風潮があったりします
で、実際の所両者の言い分はどうなのか?
一応両方の技術を持っている私が
考察してみたいと思います!
必要なスキルがそれぞれ違う
まあ、当たり前と言ったら当たり前なのですが😅
双方の主張は間違っていないのです
ギターを弾く時に求められる筋肉の動かし方
体の使い方は共通していますが
鍛えなければ習得できない部分は別
という感じですね
まあ、最終的にどちらもできるようになれば
相乗効果で互いの弾き方を強化していくことになりますが
例えば速弾きの場合ですと
効率の良いフィンガリング力
ピッキングのコントロール
体全体を使った動作
などなど
結構体の至る所を如何にコントロールして
フレーズが弾けるか
みたいなスポーツ的な視点も必要だったりします
要するに
身体的な部分において総合的な技術が必要とされる
ということですね
身体的なコントロールが上手なため
ちょっとしたフレーズの細部までこだわる力が備わっています
実際に速弾きが出来るようになると分かりますが
コードの弾き方の綺麗さ
パワーコードのまとまり具合
ノイズの処理の練度
こういった部分の標準値が高い傾向があります
逆に一音に魂を込める弾き方
ブルージーなフレーズなどがそれに値しますが
こういった弾き方をするには
まず前提として
英語の発音のようにリズムをとる感覚
子音を強調して発音する言語のような感覚
こういった日本人にはない文化の感覚が身についているか
これがかなり重要になってきます
音符や音楽に対してしっかりと西洋音楽として向き合い
フレーズを構築していくスキル
これが魂を込める演奏の第一歩だったりします
この感覚が掴めていると
フレーズが歌うように表情を持ちますし
アンサンブル全体に無理のないまとまり感が
生まれるようなフレーズを弾くことが可能になります
ぶっちゃけこれが身についてないアンサンブルは...
ミキシング等で誤魔化してますが
アクセントなどが結構バラバラで力強さがありません
海外の曲が総じて力強い要因は
実はこういった要素も関係しています
ということで、それぞれに必要な要素を挙げてみましたが
お互いに必要な要素が培われていなくても
演奏の幅を決めればそっち方面で上達するということ
つまり
速弾きをするためには洋楽的な感覚がなくてもOKですし
一音に魂を込める演奏には
身体的なコントロールが不完全でも問題ないということです
そして、互いにかけている部分の要素が気になるため
「ギタリストとして未熟である」
というように判断するというケースに繋がります
実際の所
両者とても高度なテクニックを使っていることは
間違いないのですが😥
どちらの方が習得が難しいか?
これはあくまで個人的な意見ですが
西洋的なニュアンスを掴む感覚の方が難しいです
結構著名で技巧派のプロギタリストでも
リズムの取り方が日本の音楽的になっている人は多いです
正直な所、身体的な部分においては
ある程度矯正を施すことでクリアできることが多いですが
感覚、所謂センスについては
どれだけ理論立てて説明しても理解できない人の方が多いです
音感に近い部分もあるかもしれませんね
やっかいなのは
自分が魂を込めたブルージーなフレーズを弾けていると
勘違いしたままの人がいるため
こういったニュアンスは軽視されがちです
まあ長々と話しましたが
結局のところ速弾きが出来る人は本当に上手いことは確かです
しかし
”身体的な能力でカバーできる範囲まで”
という制限がつくケースが見受けられるという結論!
勿論、最近のギタリストはどちらも優れた方も多いですが
日本ではいまだにこの傾向は強めだと感じます
だってそもそも海外のギタリストは
東アジア方面の文化にそんなふれませんしね😎
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